高齢者の看取りについて

西村医院 西村正二

いろいろな看取り

延命療法は受けない。「いよいよになっても、救急車で病院に運んでくれるな。」と繰り返し告げていた明治生まれの女性が、平成17年末に、95歳で静かに息を引き取った。平成8年からケアハウスで暮らしをしており、高血圧症とうっ血性心不全の診断で、訪問診察を受けていた。死の一月前から体のむくみと食思不振があり、見守りと介護が必要な状態になっていた。死の1週間前からは、食事がうまく取れず意識レベルも低下してきた。点滴等の治療も拒否され、手厚い介護での看取りとなった。家族に死期が近いことを告げたところ、家族は最期を覚悟した上で見守りに来ていた。

一方、長い寝たきり状態から食事を口から摂ることができなくなることがよくある。このような重度の寝たきり末期状態では、肺炎になったり、大きな褥瘡できたり、全身がむくむようなことを繰り返すようになる。意識が混濁し、呼びかけ対しても何の反応もなくこのような寝たきり末期状態に延々と経管栄養、中心静脈栄養を続けていることもある。

また、重症の寝たきりでない高齢者でも一次的に食事の経口摂取が不能に陥ることがある。急性疾患による脱水症になっただけで、補液により、回復して、再び経口摂取が可能になる場合も珍しくない。このように、回復不能の老化の末期か、回復可能なのに末期状態に見える仮の状態かを区別するのが容易ではないこともある。

北欧などでは口から食べられなくなった高齢者を経管栄養で延命させることは少ないと聞いている。経口摂取不能に陥った高齢者に対して、回復可能か回復不能かの吟味をしないまま、人工栄養も補液も行わないのが普通だという。つまり、回復不能とみなしてしまうのである。言い換えると、本当の老化の末期だけでなく、脱水などの急性疾患によって食事が取れなくなった場合でも、医療を施さないということになる。

北欧などのように老化の末期となみなしてしまうことが容認される背景には、「自ら食べようとしない者に補液などを行うのは非人間的な行為だ」という独特の価値観があると思われるが、現在のわが国の国民感情からは、一般的になかなか容認されにくいかもしれない。

さらに、高齢者の末期について正しく判断を下すのはかなり困難な上、末期状態と考えることについて多くの誤解と混乱がある。末期とは考えられない状態までも末期とみなされて議論されることもあるので、そのことについて、問題を正しく捉える必要がある。

◆  日本ホスピス在宅ケア研究会 http://www.hospice.jp/

高齢者の看取りの方向

最近、政府や政治家が、盛んに高齢者の医療費抑制を訴えている。いたずらに長生きさせ、苦痛を長引かせるのは医療費の適切な使い方とは言えない、高齢者医療には「無駄」や「無意味な延命」がある、と考える者は政府、政治家、医療経済学者のみならず医療関係者のなかにも出てきている。

虚弱・要介護のレベルにある高齢者は、急性疾患などによって容易に摂食困難に陥るが、多くは治療によって疾患が軽快すれば、経口摂取が再び可能となる。しかし、もし治療しなければ死に至ることも少なくない。回復可能なのに老化の末期状態と判断して医療が受けられないような社会にしてはならない。どんな姿であっても、少しでも生きたい、生きていてほしいと願う高齢者や家族がいることも確かなので、治癒の可能性があるなら、「末期とみなすこと」には慎重であるべきである。臓器移植、脳死について日本人は大変ナイーブな面があり、「末期とみなすこと」についても、わが国の現在の文化と無関係ではあり得ず、国民的合意なしに医師だけの判断で決めるべきではない。

ただ、最近は高齢者本人や家族の治療法の選択については、一定のレベルを超えた治療は望まない、ある限られた範囲内の治療で治癒を試みてほしいという「限定医療」を望む場合が一般的である。高齢者医療の現場で、消極的延命が選択されることのほうが実際は多い。「1分1秒でも長く生かして」ほしいからと、積極的延命を希望する家族は少なく、多くの場合、「見込みがないなら、無理な治療はやめてほしい」という家族の意志に沿って消極的延命を行っているようである。特に、何度も脳梗塞を起こした高齢者が徐々に悪化していくような場合、家族と病院の了解で終末期に濃厚な治療をしない場合が多くなっているようだ。ただし、この場合、「末期とみなして」なにもしないことの決定的な違いは治癒する可能性が十分残されていることである。

 しかし、これにも問題がある。1つは末期と診断するかどうかの問題で、高齢者の場合、急性疾患に対する治療が奏功せず、比較的急激に末期に陥ることが多い。このため、死の間際でなければ、確信を持って末期と判断することが困難である。癌のように段階的に病態が確実に悪化する場合とかなり異なっている。

 もう1つは、高齢者では多くの場合、本人の意志確認が不可能だという問題である。現状ではリビングウイルのような形で、元気なうちに意志表示している高齢者はほとんどいない。そうなると、家族が代弁するしかないが、家族の意見が分かれることもあるし、家族の希望だけで、積極的延命を行わなくてよいという司法的判断はまだ確立されてもいない。

日本老年医学会による「高齢者の終末期医療の基本的指針」

 日本老年医学会の倫理委員会において、「高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」を20016月に表明している。 注)以下にその要約を示す。

@高齢であることや自立能力が低下しているなどの理由により、適切な医療及びケアが受けられない差別があってはならない。

A高齢者の終末期の医療及びケアは患者個々の価値観や思想、信仰を十分に尊重して行わなければならない。

B終末期医療では、患者の生活の質(quality of lifeQOL)の維持、向上に最大限の配慮がなされるべきである。

C終末期の医療及びケアには、患者本人だけでなく家族などのケアも含まれる。

D終末期における医療及びケアは医学のみならず看護、介護、社会、心理など幅広い領域を含む集学的医療及びケアである。

E終末期医療及びケアにおいて施行される医療処置は、患者への利益が医学的に保証されたものであるべきである。

F患者の「尊厳」や「自律性」の尊重は、個々の文化的背景などに配慮すべきである。

G終末期患者が最善の医療及びケアを受ける権利を保障するために、医療者は実践的な教育を受けるべきである。

H「終末期の医療及びケア」は、終末期患者のQOL向上に役立つものであることを国民が理解することが望まれる。そのためには国民に対して終末期のケア及び死に関する教育が必要である。

Iあるべき「終末期の医療及びケア」の実現のためには、社会制度的支援が不可欠である。

J十分な資金提供の下に、あるべき「終末期の医療及びケア」の実現を目指す研究の推進が必要である。

K終末期における医療やケア行為の是非を検証できるような第三者を含めた「倫理委員会」を各医療機関に設置し、論議を行うと同時にそこでの論議を広く公開し、国民の意見にも耳を傾けるシステムをつくるべきである。

この日本老年医学会の高齢者終末期医療の基本的指針でも、末期の栄養補給のあり方などに踏み込まず、「著しく社会倫理に反しない限りは患者個々の価値観や志向によって導かれるべきもの」といった抽象論にとどまっている。

注)日本老年医学会の立場表明 http://www.jpn-geriat-soc.or.jp/

終末期の栄養補給の現状

老人病院で、脳血管障害を繰り返したり、アルツハイマー型痴ほうが進行したりした高齢者が、物を食べられなくなってからの生存期間の調査では、鼻などからチューブで栄養補給(経管栄養)を受けた人の平均的な生存期間は111カ月、高カロリーの栄養を送る中心静脈栄養を受けた人は同8カ月、腕などの細い静脈から低カロリーの点滴を受けた人は同2カ月だった。

 高齢者が肺炎などの急性疾患で食事がとれなくなることはよくあるが、これは生命の末期とは言えない。一時的な点滴や経管栄養で再び食事ができるようになることも少なからずあるからだ。こうした急性疾患が治るかどうかは治療してみないとわからない。食べられなくなったということだけで治療を止めれば、高齢者の生存権が侵害される恐れがあるとの意見もある。

高齢者における終末期の定義

 高齢者においてどのような状態を終末期と定義するかは、その病態によりさまざまであり、本人や家族、医療者の受け取り方によってまちまちであるのが現状である。高齢者においては悪性腫瘍に罹患し、根治が望めない状態に陥ったとしても、進行や症状の発現がおだやかで、予後が予測し難いこともあり、死に至る過程を予測することは困難である。日本老年医学会においては、高齢者の終末期の医療及びケアに関する立場表明のなかで終末期の定義を「病状が不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な最善の治療により病状の好転や進行の阻止が期待できなくなり、近い将来の死が不可避になった状態」としている。立場表明においては、高齢者の多様な病態や個人差を考慮し、現時点においては余命の予測は困難との判断から、終末期の定義には具体的な期間の規定を設けていない。また高齢者の終末期を病態別に定義することは、以下の理由で困難が存在する。

@高齢者の場合、悪性腫瘍に罹患し、根治療法が無効であると判断されたとしても、症状の発現が緩徐なことが多く、予後の予測が困難であり、経過中に心不全や肺炎など他の急性疾患に罹患し死亡することもある。

A高齢者の慢性臓器疾患(慢性閉塞性肺疾患、末期の腎不全、重症心不全、致命的な脳卒中など)の場合、実際の臨床においては、軽快、増悪を繰り返して徐々に死期が近づくと考えられるが、急性増悪により突然死が訪れることもあり、死期の判断は難しい。

B痴呆の進行期においては、嚥下困難や食思不振による摂食量の減少、錐体外路症状などによる運動能力の減少により徐々に活動性が低下し、寝たきりに至る。知的機能に関しても、言語機能の消失によりコミュニケーションが困難となり、末期においては無動無言状態に陥る。このような段階に至ったとしても、近年は胃ろうなど経管栄養の普及により、本人の意思にかかわらず長期の生存が可能となっている。この場合、死期を決定付けるのは肺炎の合併など急性の偶発症によるとことが多く、予測が困難である。

C特定の臓器疾患に起因するものとは考え難いが、徐々に死に至る過程として、脳卒中などを契機にして徐々に身体、精神機能が低下し、寝たきりあるいはそれに準ずる状態に陥り、介助無しには生活動作ができなくなり、全身の衰弱による感染症の併発や経口摂取不能による脱水に陥るケースがある。このよう経過は、医療が普及していない過去においては老衰死として社会的に認知されていた。本人の意思による自己決定を重視する社会においては、延命処置をしないという選択により、いわゆる老衰死による終末期が考えられる。

 日本においては、老衰状態における医療措置に関して、本人の意思の反映や延命処置の是非に関する社会的合意が存在しないため、どのような死を迎えるかは、個々の医療者や家族の意向に左右されるのが現状である。

終末期の医療費

1994年の調査だが、宮城県内のある町で死亡した124人の住民の死亡前1カ月半の医療費を調べた結果。65歳−84歳で死んだ人は平均約70万円で、85歳−94歳では同20万円、95歳以上では同10万円で、高齢者ほど医療費は低かった。

日本では、使った医療費の高い上位順序から数えて上位1 %の患者が医療費全体の26%を使っている。また上位10%の人たちが、64%の医療費を使っている。残りの大多数の患者は、全体の2割ぐらいしか医療費を使っていない。

 使った医療費の低い患者は、数としては全体の75%を占めるが、75%の患者は医療費全体の約2割にすぎない。つまり大多数の高齢者の看取りの診療報酬を減らしても、日本の医療費を下げる効果は殆どないことになる。医療費だけを考えれば影響は少ない。むしる高度医療にともなう高額医療の方が問題になる。重要なことだが、レセプトの高額上位の患者を調べると、9割ぐらいの患者が死亡している。また助かった患者も社会復帰している患者はほとんどない。高度医療と言えば聞こえはよいが、9割が死亡する医療を高度医療と言えるだろうか。1000万円以上の医療費をかけて1割の患者が助かると言うことは、一人の患者を助けるのに1億円以上かかることになる。老人医療費よりも、むしろ、高額医療が、国民医療費を考えるうえで大きな問題であろう。

まとめ

政府や政治家が財政上も問題から、医療費抑制策を推し進めてきている。高齢者医療についてもいろいろ検討されるようになってきた。

高齢者一人当たりの医療費は一般に比べて高いものではないし、高齢者の終末期の医療費は、先に述べたように、桁違いに少ない。それゆえ、高齢者の終末期医療費は医療費抑制の対象とはなりえない。 

医療や福祉を大切に考え、老後不安の無い日本の社会であってほしい、老化の終末期であっても、高齢者の尊厳と人権を尊重する社会であってほしいと願わずにはいられない。

参考文献

1.横内正利:高齢者医療への提言第 1 回「内科の延長でよいか,老人科的対応が必要か」

medical-tribune 1997417 (VOL.30 NO.16) p.27

2.横内正利:高齢者医療への提言 第2回 「高齢者の末期とは何か」,

medical-tribune 1997515 (VOL.30 NO.20) p.47

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