今時の死の迎え方と救急医療

           一終末期の救急救命医療は殯の宮か一

                               西村医院 西村正二      

日本おける社会・経済上の変化に伴い、日本人の死生観に変化がみられるようになった。医療技

術の
高度化により、命はあたかも不滅であるかのような医療の神格化がおこり、死の医療化(過度

の延命
医療)が起きている。そのことは、近年、病院での死が急増してきたという事実が示してい

る。
2003年の調査では病院を含む施設での死亡は約84%、自宅は16%にすぎない。1953年調査時

死亡場所の自宅と病院等の比率は約
87%対約13%2003年とはまったく逆になっており、50年を経

て死亡場所の比率が逆転したことになる。病院が日本人の死に場所になってきているといえる。


高齢者においてどのような状態を終末期と定義するかは、その病態によりさまざまであり、現状

では
本人や家族、医療者の受け取り方によってまちまちである。高齢者においては悪性腫瘍に罹

患し、
完全な治癒が望めない状態に陥ったとしても、症状の進行や発現がおだやかで、予後が予

測し難い
こともあり、死に至る過程を予測することは困難である。日本老年医学会は、終末期の

定義を「病状が
不可逆的かつ進行性で、その時代に可能な最善の治療により病状の好転や進行の

阻止が期待できなく
なり、近い将来の死が不可避になった状態」としている。あとどの位の命な

のかの予測は困難なので、
終末期の定義には具体的な期間の規定を設けていないが、「生命予後

の危機」を終末期状態と捉えると、
普通終末期の期間は16カ月と考えてよい。

高齢化社会になり、在宅医療の促進で、自宅や老人ホームなどの施設から救急救命センター搬送

される高齢者も増えている。中には本来、救命センターで収容するのは疑問に思う高齢者も搬送

されている
ようだ。ある救命センターに搬送される心肺停止患者は年間約600人で、そのうち9

以上が高齢者
であり、末期がんや高齢者施設で意識が混濁した「大往生」と呼ぶべき患者も多い

との報告がある。

いよいよ死が近づいてくると、自然な死を受け入れられないのか、死なせたくないのか、死をみ

とるのが恐ろしいのかが区別できないままにパニックになることがある。心肺停止が近い状態の

患者に対して救急車を呼べば、救急病院に運ばれ、当然、心臓マッサージ、人工呼吸、薬剤投与

などの蘇生処置へと流れ作業に突き進む。死にかけているのに病院に連れて行かないという状況

を家族は受容できないのだ。高齢者介護施設も、満足な医療を受けさせないと批判されたくはな

い。だれもが死に責任を持てないために、救急病院で、どう見ても生き返らない患者の蘇生に努

力することになる。こうした高齢者はたとえ、生き残ったとしても意識が戻らず、大半が医療が

不可欠な植物状態になることもある。家族はこんなことになるなら救急車をよばなければよかっ

たと悔やむことになるのだ。日本人はみな、体をチューブだらけにして救命センターか救急病院

で死ななければならないのだろうか。

介護施設や自宅で静かに最期を迎える死もあり得るだろう。患者や家族、医療者の問に健全な

生観
(死の迎え方)が身につくような機運が生まれてほしい。

人生の終末期において、医療はその一部に関与するものであり、実際には、「かかりつけ医」に

よる
在宅医療と看護や介護を含めた包括的なアプローチが必要なのである。そのことについて、

国民が充分
納得のいくような議論が今こそ必要だと思う。自分の死が、おぞましいものにならな

いように、今、
一人ひとりにやさしくて心のこもった「死の迎え方」を考えてほしいと願う。

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